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〈メディア・アーティスト〉としてのトーマス・ルフ
exonemo/IDPW 千房けん輔
トーマス・ルフの作品をリアルに見たのは2008年、スイスのバーゼルのギャラリーで個展をやった時に、同時期に開催されていた世界最大規模のアートフェアである「ART BASEL」でだった。自分たちの展示が行われたメディア・アート系のギャラリー「plug.in」が、若手のアートフェアである「LISTE」にブースを持っていたことからそちらにも参加でき、その流れで本体であるART BASELのチケットがもらえたのである。
自分たちの活動領域であった〈メディア・アート〉と、アートフェアに出ているような大文字の〈アート〉との隔たりは大きく、特に予備知識がない状態で“冷やかし半分”で見に行ったのを覚えている。そこには誰でも知っているような超有名な作品が羅列され、警備員がウロウロする中で、あからさまにリッチに見える人たちが小さいテーブルで商談をしていた。そんな光景を田舎者のようにキョロキョロ眺めながら、新しい技術と目されるコンピュータを使った作品を同じ街で展示している人間という自負からか、古典的なアートに対してあまり興味を持てず(むしろ見下すような意識で)、アートフェアの持つ独特な空気感をただ面白がっていた。そんな自分の中で、唯一実感として心に突き刺さった作品がトーマス・ルフのJPEGシリーズの1作品だった。
確か911のビルの風景の写真だったと思う。JPEGの圧縮ノイズがかけられた写真が巨大にプリントされてそこあった。90年代からインターネットで作品を作ってきた自分にとって、JPEGの圧縮ノイズに美意識を見出すという視点は、さして新しい感覚ではなかった。実際に作品制作のスタディーとしていろいろなパターンのJPEG圧縮による画像の劣化をテストもしていた。JPEG以外にもGIF画像の独特のノイズや、音声ファイルであるmp3の圧縮ノイズなど、ファイルサイズを小さくするという技術から副次的に生まれてきた表象に美意識を見出すという行為は、グリッチなどでも見られる、古典的な〈ネットカルチャー〉内の美意識でもある。そんな訳知った自分の目で見ても、ルフの写真作品の持つ力には心を揺さぶられるものがあった。自分がすでに知っていた価値のはずなのに、何故こうも美しく見えるのだろうか。ある意味悔しかった。被写体の選び方がうまいのか、JPEGの圧縮率が絶妙なのか、はたまた単にコンピュータ・ギークである自分にとって身近な素材であるJPEGが使われているから嬉しかっただけなのか。そのどれか、もしくは全部、または違う何か。その感覚は自分の中で消化されることなく残った。
その数年後、偶然トーマス・ルフがプレゼンテーションを行なっているYouTubeを見て、答えの一端を知ることができた。(芸術系数blogに上がっているこの動画だ http://gjks.org/?p=1864)
彼は自身のポートレイトシリーズを引き合いに出して、写真のサイズに関する話をしていた。ポートレイトのシリーズを始めた時に最初は小さくプリントして発表したら、見に来た人が写真そのものではなく、写真に映っている人物の事を話し始めた。しかし、巨大にプリントすると、映っている被写体そのものよりも“写真であること”に人々の意識が移ったというのだ。これは同じアーティストとして、非常に興味深い話だった。ある意味テクニカルな話でもあるのだが、大きさによって人の意識のフォーカスするポイントを操作し、メディアそのものに注目させることに成功したのだ。JPEGの写真を、ただギーク的な美的センスを超えた美しさに昇華できたのも、サイズ感に代表されるような物質の持つ性質の活用が重要だったのだ。画面の中でより活き活きと光り輝いて見えるはずのJPEG画像を、わざわざプリントし、それも大きいサイズ感で提示することで、今まで気が付けなかった、物体としてのグラフィックと身体との関係が築かれ始める。
物質の持つ性質の方面からの、メディアに対するアプローチの重要さにルフは気づかせてくれた。そうやって彼が主題にしようとしているのはメディアそのものである。メディアそのものに対して非常に自覚的な彼は、写真家であると同時に〈メディア・アーティスト〉でもあると言えるのではないだろうか。いやむしろ、彼の作品をながめていると、写真家ではなくてメディア・アーティストであるという方が相応しいのではないかと思えてくる。〈メディア・アート〉というものを“メディア自体を自覚的に扱うアート”であると設定するのなら。
いやむしろ、優れたアートがメディアそのものに言及していることは珍しくない。力強いアートは、メディアの枠に中に収まらず、その枠を超えたエネルギーを発散する、もしくは、そのような枠組みに気づかせてくれる。
彼の作品を経験するときに、観客側にもメディアに対する自覚的な意識が必要になってくるだろう。もちろんだからと言って大げさに構える必要はない。意識と身体という誰でも持っているもので受け取ることのできる中に、彼のアートと繋がるヒントが必ずあるはずだ。
exonemo/IDPW 千房けん輔
アーティスト/プログラマ/ディレクタ。1996年より赤岩やえとアートユニット「エキソニモ(http://exonemo.com)」をスタート。インターネット発の実験的な作品群を多数発表し、ネット上や国内外の展覧会・フェスで活動。テクノロジーによって激変する「現実」に根ざしたコンセプトから繰り出される、独自/革新/アクロバティックな表現において定評がある。またネット系広告キャンペーンの企画やディレクション、イベントのプロデュースや展覧会の企画、執筆業など、メディアを取り巻く様々な領域で活動している。アルス・エレクトロニカ/カンヌ広告賞/文化庁メディア芸術祭など異なる領域の国際コンペで大賞を受賞。2012年に東京よりスタートしたイベント「インターネットヤミ市」は、世界の14の都市に広がっている。2015年よりNYに拠点を移し、NEW MUSEUMのインキュベータであるNEW INCに参加。
アーティスト/プログラマ/ディレクタ。1996年より赤岩やえとアートユニット「エキソニモ(http://exonemo.com)」をスタート。インターネット発の実験的な作品群を多数発表し、ネット上や国内外の展覧会・フェスで活動。テクノロジーによって激変する「現実」に根ざしたコンセプトから繰り出される、独自/革新/アクロバティックな表現において定評がある。またネット系広告キャンペーンの企画やディレクション、イベントのプロデュースや展覧会の企画、執筆業など、メディアを取り巻く様々な領域で活動している。アルス・エレクトロニカ/カンヌ広告賞/文化庁メディア芸術祭など異なる領域の国際コンペで大賞を受賞。2012年に東京よりスタートしたイベント「インターネットヤミ市」は、世界の14の都市に広がっている。2015年よりNYに拠点を移し、NEW MUSEUMのインキュベータであるNEW INCに参加。