A
トーマス・ルフ
インタビュー
前編
写真&インタビュー・ホンマタカシ
編集・服部円
アーティストにとって必要なことは、
新しいイメージをみつけること
現代アートと写真の垣根を超え、世界的に評価されているアーティスト、トーマス・ルフ。2016年5月、ドイツのデュッセルドルフにあるルフのアトリエを訪ねた。コンセプチュアルな作風とは裏腹な、和やかな雰囲気のルフが語る、アート、写真、そしてインターネットとは—— 。
デュッセルドルフの中心から車で約10分、閑静な住宅街の中にルフのアトリエはある。スイス出身の世界的な建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンが手がけたアトリエに入ると、美術館のような天高の空間が広がっていた。巨大な作品を搬入・搬出するために、床はすべてバリアフリーに設計し、美しい庭にも地続きで出ることができる。
1階は、天井の高いビューイングルームと3台のパソコンが置かれた作業部屋、カフェテリアの3部屋。物置兼プライベートスペースとなっているロフトが2部屋ある。パソコンはMacを愛用し、作品データを管理するため、2台のハードディスクで常にバックアップをとっている。地下には、巨大なプリントも保管できる自身の作品の収蔵庫がある。常駐のアシスタントやチームはおらず、基本的にはすべて一人で制作しているという。
作業時は無音だというが、リラックスタイムには収納ボックスに入ったカセットテープから音楽をかけることも。朝は10時からアトリエで作業、17時には終了するという規則正しいライフスタイル。2人の娘にせがまれて飼いはじめた、プードルの愛犬・ココを可愛がっているという(取材時はグルーミングにお出かけ中だった)。
アトリエの雰囲気を形作っているのが、世界各地で蒐集したというオブジェの数々。オークションハウスやパリの骨董屋で購入したアンティークの置物、宇宙ロケット、飛行機の模型などが並ぶ。コレクション自体には特に意味は無いよと言いながらも、随所にルフのこだわりと、独自の博物学的な視点を感じた。
1階は、天井の高いビューイングルームと3台のパソコンが置かれた作業部屋、カフェテリアの3部屋。物置兼プライベートスペースとなっているロフトが2部屋ある。パソコンはMacを愛用し、作品データを管理するため、2台のハードディスクで常にバックアップをとっている。地下には、巨大なプリントも保管できる自身の作品の収蔵庫がある。常駐のアシスタントやチームはおらず、基本的にはすべて一人で制作しているという。
作業時は無音だというが、リラックスタイムには収納ボックスに入ったカセットテープから音楽をかけることも。朝は10時からアトリエで作業、17時には終了するという規則正しいライフスタイル。2人の娘にせがまれて飼いはじめた、プードルの愛犬・ココを可愛がっているという(取材時はグルーミングにお出かけ中だった)。
アトリエの雰囲気を形作っているのが、世界各地で蒐集したというオブジェの数々。オークションハウスやパリの骨董屋で購入したアンティークの置物、宇宙ロケット、飛行機の模型などが並ぶ。コレクション自体には特に意味は無いよと言いながらも、随所にルフのこだわりと、独自の博物学的な視点を感じた。
昨日、あなたの母校であるデュッセルドルフ芸術アカデミーを訪れたのですが、ヨゼフ・ボイスのアトリエの痕跡などが克明に残されており、ベッヒャー・シューレ(*1)というだけではない、ボイスから続くアカデミーのアートの歴史を感じました。
「私はベッヒャー夫妻のクラスで学んでいましたが、周りには写真だけではなく絵画や彫刻を扱う友人もいました。アカデミーは写真の印象が強いかもしれませんが、初期の芸術からコンテンポラリー・アートまで、美術史のすべてを学びました。私自身はボイスだけでなく、マルセル・デュシャンから大きな影響を受けています。またゲルハルト・リヒターの風景やポートレイトといったモチーフの影響も受けているかもしれません。もちろん、ドイツだけではなくアメリカのペインターなども含まれます」
アカデミーはBAやMAといったコースはなく(*2)、1年目はさまざまなジャンルの制作を体験し、2年目からは先生を選び、そこから修了するまでは3年の人もいれば10年の人もいると聞きました。あなたは何年在籍していたのですか?
「私は最初の1年を除けば、ベッヒャーのクラスに入り5年いました。その後、半年間パリに留学し、戻ってきてから3年、あわせて9年在籍しました。なぜそんな長くアカデミーにいたかといえば、当時はお金が無く、アカデミーにいれば機材を自由に使えたからです。またアトリエをデュッセルドルフにかまえた理由も、ラボなど写真制作のための環境が、ベルリンや他の都市に比べて整っていたからにすぎません」
ベッヒャー夫妻に教えられたことは?
「最初はどんな学生も同じだとは思いますが、先生の作品を真似ることからスタートしました。しばらくして、自分の作品でどうやったらオリジナリティを出せるかを考えはじめます。〈Interieurs〉は、ベッヒャー夫妻の影響をうけています。彼らは“カメラをセットアップし、何にも触れない。その場にある光源だけを使う。できる限り客観的に、または即物的になるように努める”と指導し、私はその通り実践しました。ところが、私はカラー写真で撮影することにしたんです。ドキュメンタリー作品はモノクロームであるべきと教えられていたので、先生に見せた時になんといわれるか不安でしたが、彼らは“あなたは正しい。こちらの方が、ずっといいね。白黒をスキップして、カラーをやりなさい”と言いました。押し付けるのではなく、非常にオープンな先生であったと思います。また、常にメディアについて考えるようにと教えられました。私は、写真における実質的な客観性はないと気づき、そこから〈Porträts〉が生まれました」
卒業してから、先生として6年間アカデミーで教えていましたよね。
「“有名になるには、何を撮ればいいですか?”なんてくだらない質問をする生徒ばかりで、耐え切れずに辞めました。というのは冗談ですが(笑)、アーティストにとって必要なことは、新しいイメージをみつけること。さらにひとつのテーマに固執するのではなく、次に繋がるアイデアをどんどん生み出すこと。そのためには、有名になるかどうかを考えるよりも、マインドを強くもつことが必要です。また最近は、学生のうちから展覧会をやって世間に名を知らなければいけないという、妙なプレッシャーがあるようです。しかし、アカデミーにいる間は自由な立場にあり、コマーシャルギャラリーがつくかどうか、アートマーケットでどう評価されるかといったことからは守られている。失敗もできるし、どんどん実験的なことを挑戦するべきです」
スマートフォンのカメラ機能で撮影し、Instagramで写真をアップする。誰でもフォトグラファーになれる時代です。この時代に、アーティストであることをどう考えますか。
「私は、誰でも一生のうちに1度、いや3度は素晴らしい写真を撮ることができると思っています。しかし、アーティストとしてコンスタントに制作を続け、歴史に残るクオリティーの作品をつくることは全く別のものです。同じ写真というフォーマットだからといって、アマチュアとプロフェッショナルが争うことはありません」